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来て、見て、書いた。

自ら足を運び目にしたものを書く方向性。

リーディング「シアワセでなくちゃいけないリユウ」

リーディング『シアワセでなくちゃいけないリユウ』 | 天王洲 銀河劇場

2015年の村井さんの舞台納めとなった今作品。この年は、グレッグにはじまりグレッグに終わった年でした。進んだはずなのに同じ場所に立ち返るというのは、何となく不思議ですね。いつもカワイク・シアワセを見る時は、初台に行っていたので、新宿駅で間違えそうになったのは内緒。

 

以下、ざっくりとした感想。

演出・舞台美術全般

舞台版っぽいなーというのが第一印象。エンドステージ中央に、舞台版の四角い休憩室を模した美術がおいてありました。扉はなく、演者が立つと「ガチャ」とドアノブのSEが入るので、(自動ドアだ……)と思いながら見ていました。なんというか、仮組みの美術で行われる、台本を持っての立ち稽古を見ているような感じ。

カワイクリーディングの時のように、椅子の位置や角度による、心情の変化の表現に似た部分はあったのですが、ステッフとの料理店の部分などで、結構がっつり椅子を移動させていたり、男子組が運動場で会話する時は、それぞれ段差に腰掛けていたりと、結構自由だったので、その部分も逆に立ち稽古っぽさがありました。

余談ですが、ケントの「何見てんだよ」は、客席に向いて言ってるせいで、おもしろポイントみたいになっていましたが、あれ元々は、鏡に向かって言ってるシーンなので、自分自身と向き合って腹を立て…、みたいな感じです。でも実は、その舞台版での演出でも、別に鏡自体はおいていなかったので、ケントが顔を向けている方の席の人はちょっと面白い状態だった。

ちなみにカワイクリーディングの時の演出感想メモはこんな感じ。敬称略になっているの本当にすみません。

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左上の、【朗読すること】のイメージが、今回は比較的薄かった気がします。あと、このページには書いてないのですが、カワイクは、夏にあった出来事(舞台版)を、冬に振り返る(朗読版)…というような構成があったので、余計にその印象が強かったです。

シアワセは、本を持った分、不自由そうだなぁとちょっと感じました。ステッフは特に、動き足らなそう。シアワセのほうが、脚本自体が、台詞ではなく芝居することに寄っている部分がある(たとえば、ステッフがアイスケーキを壊す部分など)ので、余計にそう感じるのかな。ただやはり、自分の身のうちから、感情とともに台詞を出すのではなく、文字という外部情報を目で追ったものを台詞にしている分、言葉の意味そのものがわかりやすい部分は、しっかりありました。アフタートークで、美潮さんが「朗読劇になると、余計にグレッグがクズなのが感じられて…」というお話をされていたのは、多分その辺に関わりがあるのかな。

 

キャラクター感想

グレッグ、グレッグなぁ。クズだし、本当に、ほんの少しの責任感を持って、どちらかの手を掴んでいれば…って思ってしまうのですが、なんか妙に感情移入してしまって、クズ!!と言えない自分がいます。

いや…だって、片方選んだら、そっちはとりあえずシアワセにする義務があるじゃん…でもどうにかニューヨークの仕事手に入れられたってところだから、二人分生活出来るほど稼げる気もしないし…ていうか書いていて気づきましたが、ステッフがニューヨークまで来てくれた場合も、一応彼女にも働いてもらう算段(ガイドブックの美容院の項目に付箋を貼っている)でいますねグレッグ…しかも来てくれるかどうかは、ステッフ自身に委ねていて、なんかあった時は「僕が来てくれって言った訳じゃない」って言えるようにしてる…うわぁクズだ…。でもなんかわかる。自分に加えて、もう一人分の人生を背負うのって、すごい怖い。

ステッフは、カワイクではヒステリーを起こしつつも、そこまで嫌いじゃなかったのですが、シアワセは……浮気期間あり+ヒステリーで子供を傷つけかねない*1ので、かなり苦手な人に降格してしまいました。でもあの体力も精神力も使うキャラクターを演じきる村上さんへの信頼度や好感度は超高い…。朗読版は本当に、動き足りなそうだなー!という印象が強かったです。

カーリー。母だなあと。朗読版であるせいか「わかってる」という感じが強くなっている印象。「どちらが貴方にふさわしいのか…(抱きしめてから頬をたたくシーン)」というのも、未来も気持ちも、何もかも飲み込んで言っている感じがしました。でも別に、彼女はみんなのお母さんになる必要はないんだよなあ…と少しさみしくなります。もっとワガママ言って欲しい。甘やかしたい。相変わらずきっかちゃん可愛い…顔と体と声が好きすぎる。

ケント。一番、成長しようとあがいてるなあという印象。朗読劇というより、彼の場合は、気持ちを落ち着けるためのオーディオブックを手にうろついているようなイメージがちょっとありました。これまでに、何度も何度も繰り返した失敗を、もう二度と繰り返さないため、その失敗の記された本を手に、自分を省みている状態。結局暴行しているし、刑事事件になっちゃうかもしれないけど。もう一度カーリーとよりを戻すって言うのは(カーリーにとっては、良い方と悪い方、どっちに転ぶかまだわからないけど)、ケントにとってはいいことじゃないかなと思う。ちゃんと自覚を持って…自分を省みて…パパになれば。

*1:冒頭でステッフがぶち壊しているアイスケーキは、多分カーリーの娘であるジェニファーの誕生日ケーキなので…。舞台版では、リボンのかけられたクマがカートに入っていたりした。あと、カーリーの「三歳になったわ」という台詞からも、誕生日が近そうな印象