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来て、見て、書いた。

自ら足を運び目にしたものを書く方向性。

幸せ数える金曜日

日記

久々に金曜日当日の日記だよ。

 

RENTの制作発表オーディエンスの募集が始まりました。もちろん応募しました。でも応募した時点から、また当たらなかったらどうしよう…と胃が痛いです。チャリブラが当たらなかったことで自分が滅茶苦茶荒れたことにビビっていて、前の日記とかでも書いた通り、RENTも落ちておんなじ位しっちゃかめっちゃかになったらやだなぁという気持ちが先に立ってしまいます。ホント…当たんなかったらどうしよう…。ただ当たりますようにと祈るしかない。

まあ。季節の変わり目かつ、嫌な記憶の色濃い時期もすぎて、もうそろそろ暖かくなる筈ですし、桜も咲き始めれば、気持ちも落ち着くと思います。それにチャリブラもあと少しだし。それを思えば、気が楽になります。

 

今日の村井さんのびじぼ日記。転載するのはあれなので、勝手に端折りますが、見た人がどんな気持ちになるかわからない的なことが書かれていて、また…難しいことを考えている……となりました。

どうなんだろう。観客側だけど、まだ見てませんからね。わかんないですね。

あと見たところで、そこで感じたことを表現出来るかどうかもわからないし(みんながみんな表現者ではない)。表現してもそれが正しく伝えられるかもわからないし(言葉を間違えたり、意味を取り違えられたりするかも)。あと本当に本物の気持ちを伝えようとするかもわからないし(嘘をつくかもしれない)。

わかんない。わかんないな。

とりあえず。アニメは見たし、特典映像も見ました。YouTubeにある学芸会の映像とか、たまに仕事しながら流してるので、舞台版の流れも概ね把握してます。曲もよく聞いてるし。アニメはね…面白かったし可愛いかったです。ただ、アニメって媒体自体が、背景とかの情報量が実写よりも少ないんで、場面の同一性の保持とか滅茶苦茶しづらいんですけど、この作品が割と場面や歌ごとに、イメージと現実だけでなく、時間とかも自由に行き来する感じなので、つまり、チョイチョイこれなんの話だろう、みたいになりやすい気はしました。ダイジェスト・オブ・日常、がより際立つ。舞台だと、キャストって存在そのものが、キャラクターやその感情の、同一性や連続性を保つ部分もあると思うので。

なんの話だっけ。

まー。結局、まだ公演は見てないから、何を思うかもわかんないよーって話なんですけど。

じゃあ逆に、何を期待して見に行くか?どんな気持ちになるために観に行くのか?っていうと…私は「幸せの数え方を見つけに」って感じですね。ポエマーですね。

初めの方に話を戻して。やや元気になりつつあるのですが、まだ多少、抑うつの気配はありまして。周りのこと気にしなくてもいいんですよ!と言っていただいたりもするのですが、正直周りは関係なく、純粋にそういう暗く鬱屈した価値観になる時期なだけなのです。

そういう時期って、基本的に自分や人の不幸とか、あるいは手に入らなかったものを、ひたすら数えてるんですよね。あと、決して解決や理解できないもの、答えがなかったり、知りようのないものについて思い悩む。そんなの無限にあるから、数え終わらないし、解決もしないし、わかんないし、ひたすら滅入る。数えるのやめれば?って言われても、それしか目に入らない。辛い、悲しいばかりを手元に引き寄せる。

あと、全ての可能性を意識し続けると、選択肢が無限になって、結果として、選択できずに動けなくなるんですよね。その状態は不安と表現することも出来るのかな。安心って、確信できること、他に選びようのないことでもあるから。

まとめるの面倒になってきたんでザックリ結論的なアレにしますと。

普通に、そして幸せに生きるって、単純に、手元に確かにあって、必要で、心地よいものだけを、確実に認識できる、ってことでもある。と思う。

チャーリーの幸福論って、そういう部分もあるのかなとも。

朝日の美しさに満たされる。失敗もあるけれど、明日を信じられる。赤毛の女の子には、割と挙動がおかしいのがまた可愛いんですけど、それはまた彼なりの頑張りで。

今の自分に、少し欠けてる「幸せの数え方」を、彼と彼の物語の中に見つけに行きたいなと思っています。

実際に見たあと、何を感じるのかは、ホントまだわかんないですけどね。

 

あとは、生きて、舞台に立つ推しを見るという幸せを享受しに…行く……。オタクとしての最高の幸せを…。

完全に3ヶ月とちょいぶり…飢え渇いております…早く見に行きたいです。

そして出来れば、舞台上で幸せを腕いっぱいに抱きしめてる村井さんが見れたらいいなと思います。君の幸せが私の幸せだ。

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