読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

来て、見て、書いた。

自ら足を運び目にしたものを書く方向性。

私はあなたのファンだから。

f:id:torata_nu:20170416233507j:image

姫林檎の花が咲き始めました。

 

engekisengen.com

身近な人に『作品には感動したけど、お前には感動しなかった』って言われたことでも、自分に本当に腹が立ったし

 

上記のローチケ演劇宣言の記事を読んで、思ったことをぱらぱらと。中途半端な出来の炒飯みたいに、あっちではひっついて、こっちではぱらぱらで、みたいな感じのメモというか所感というか。

 

ファンの甘言より、身内の苦言。

まー厳しいことを言うファンもいるだろうけど、重みとしては結局褒め言葉と同じで。近しくて、当人を真実理解していて、それでいて厳しいこともしっかり言える人の言葉の方が、ざっくりと深く届くのだよね、と。

そんなもん当然なんですけど。

私だって、そこらに落ちてる誰かが書いてくれた感想とかよりは、きちんとした目を持ってる身内の言葉の方が、身になるし。そもそも有象無象の言葉を、心に入れないようにしてるし…(ある程度まで耐えられても、どこかで無理が出るから)。

知らない人を軽んじてるというよりは、身内を重んじてると思ってくれれば。

というか知らん人のだと、なんでそういう感想になったのか?この言葉の背景は??ってところから考えないとならないから、本質に行きあたるまで時間かかるし、最悪行き着かずに終わるので。いや、身内のでも、あんまり鋭すぎると悔しいし、自分の至らなさを思い知らされるので、「このやろー!!!」って一度反発することも多いですけど。必ずしも素直に受け止めてる訳ではないです。

 

話が少し戻って。

私は村井さんのファンだから。

厳しいことも言える方が良いファン!的な話もありますが基本的にそんなモン糞食らえタイプです。好きな人には好きなところを伝えたい派。大好きだよって言いたい。だから、舞台やイベントに行ったりして、村井さんとお会いできる時は、好きなところをいっぱい見つけて、ここが好きだよ!これが幸せだったよ!こんなことを学んだよ!って、たくさん書いたお手紙を書く。当人は公演期間中は読まないと言っているので、リアルタイムで伝わることはないと思いますが。

 

そう言うべろべろに甘やかす言葉に溺れずに、自分の悔しさ、不甲斐なさときちんと向き合うところ、本当に大好きだなあ。かっこいい。

 

甘いこと言う人が何言ってんだと言う感じですが。でもやっぱ好きですよ。うん。これも甘やかしかな。それでいいか。私作る人、あなた食べる人。好き放題甘味を作るので、食べるかどうかはご自分で決めていただければと思います。

 

話変わって。

前にも言ったかな。タロットカードでの村井氏のイメージは節制なんですよ。

www.lyrical.jp

自然な自分の力が成功への近道です

私たちにはできることとできないことがあります。何が得意で何が不得意なのかを知ることは、成功に近づくことです。自分ができること、得意なこと、それは自分の個性です。自分の持っている個性の全てをバランスよく上手に使えば、ものごとうまく行きます。自分の個性を上手に使うだけですから、自分にとって楽チンで無理がありません。無理がないので自然と成功に近づきます。

あとまた少し話がズレますけど。

村井氏は北島マヤ、憑依タイプ、って言われることが多い気がしますが、個人的には素質がマヤだけど性格や行動原理が亜弓さんのイメージ。元々、舞台荒らしはしないし…以前は「自分が頑張る!」に近い感じだったのが、今は、「皆と手を取る」に変化している部分もあって、そこも亜弓さんっぽいなぁと。

そう言う部分も、節制のカードに似ていて…多分これまではリバース状態で、頑張りすぎる亜弓さんだったけど、何かの形で正位置に戻ると、自然体で、自分自身の個性の中での調和と発展が見えてくるのかなぁとも思う。

なんのこっちゃですね。私もよくわからないです。

あと今更ですが、※個人の感想です。

 

またも話は大きく変わり。

ファンで、甘いことばっか言ってる。でも身内の鋭い言葉ほど心に届かない。

そう言うのを感じた時、ふっ、と。奇妙な徒労感と絶望感に襲われます。あれ、私の書いたことあんま意味ないかな、みたいな。やってること、何の価値もないな。

認知されると抜けづらい、気力が尽きても推すしかない、みたいなのあるじゃないですか。それの逆版で、あー私いなくても全然平気そうだな、みたいな気持ちになる。それ位が楽なファン活動なんだとは思うんですけど。

ジャッサー目前なので、割と我に帰るタイミング多いんですよね! ああ別に、若くないとこういうファン活動しちゃいけないと思ってるわけではないんです。ただ、自分が節目の年を迎えるに当たって、何かを精算をしなくちゃいけない気がしてるんですよね。多分30になったら多少何か吹っ切れるんじゃないかな? 知らんけど。

あと、脳みそが言ってくるんですよね。

「ねえ、僕これまで頑張って脳内物質分泌してきたけど、結局何か得られた? そろそろなんの供給もないのに分泌するのもキツイんだけど、いつ終わりにするの?」

終わりっていつだろうな。

お金も手紙も、他の人の出したのと一緒に積まれて全然構わないし、そうやって塵も積もって山となったものが、彼の生活や心の何かを支えてたらいいなぁって思うけど。どうなんだろうなー。

意義とか見返りとか考え始めたら終わりだというけれど、本当にそれで終わりが来るならありがたいもんですよね。終わりなんて来ないまま、ただその気配に凍えてるのが一番辛い。

 

また一番初めの記事に戻るんですが。

「作品には感動したけど、お前には感動しなかった」

それを読んで、ん??と思ったことがありまして。

以前、手紙の書き方記事に、RENTの感想手紙の下書きを載せた上で、こんなことを書いていたんですよ。

あの人に書く手紙の話。 - 来て、見て、書いた。

多分、私自身が文章などに依存しているタイプな為、基本的に物語に比重を置いて見てしまうし、こういう感想も多くなるんですけれど。

………もしかして、私も実は「作品には感動したけど」という状態だったのかな? と思ったわけです。

この文章の後には「村井さんが演じてるからこそ入れ込む事が出来る」っていう風に書いてあるし、それは事実だと思います。マークが村井さんじゃなかったら、劇場にだって足を運んでいないもの。

村井さんが大好きだからこそ、作品そのものと真正面から組みあい、格闘するみたいに必死に考え、理解しようとした。

でも大好きだからこそ、自分が入れ込んでいたのが作品で、村井さんに対してはどこかフワッとしていたことに気づくことが出来なかった…のかもしれない。

なんかなー。

いや。別に、厳しいことを言おうって気は、これからもないんですよ。全く。これからも私は甘々でいきます。宣言します。私は推しを甘やかす。It's my style.

でもそれと、偏向した視点で見たものを間違った言葉で書くのとは、別だと思うんですね。

好きを言い訳にして、嫌味や悪罵を言うのもダメだけど、好きを言い訳にして、間違ったことを言うのもダメ。自分の感じたものを嘘にしちゃダメだ。

きちんと自分と向き合って、見たものを精査し、適切な言葉で書かないと。愛すならばせめて正しく。

そういう意味で、反省しないとなと思った次第です。

 

そんな感じで。一つの記事の一つのくだりだけで、色々と考えてしまいました、という話でした。

 

このブログ、今日で2周年らしいです。なんか…すごいダラダラ色々書いてるだけのブログですが……ありがとうございます。これからも適当に生きていきます。