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来て、見て、書いた。

自ら足を運び目にしたものを書く方向性。

美しいことは武器になる。でも、強くはない。

メモ 舞台

 

Twitterを眺めていて、ああ、と思いました。この「ああ」は、少しの悲嘆と憤怒と、ほとんどの諦観と、残りの無関心で出来ています。

 

「若手だから」「容姿が良いから」

こんな言葉は、ファンをしていてもよく直面する言葉です。あの男共は、見てくれが良くて、まだ若いから、馬鹿な娘が狂っているのだ。中身なんてなんにもない、消費されてそのうち消えるだろうよ。ただ顔が綺麗で若いからと言うだけで、何一つ見もせず、否定の言葉を言い放つ。ついでに、ファンである子達の頬も叩いて逃げていく。キラキラした男に、何にも考えずに群がってんなんて、頭も尻も軽い女だな。

ファン同士でも、似た言葉を投げつけあいます。あなた、顔ファンでしょ? 彼の内面なんて、何一つ理解しちゃいないのに、そんな偉そうな批評して、何様なの。外の人から言われて嫌だった言葉を、平気で仲間に(互いに友情はないけれど、少なくとも同じ人を愛している人達に)言い放つ。相手のことを、何も知りもしないで、顔ファンだと決めつけて見下す表情は、外の人とすっかり同じになっています。違うのは、「彼」に「何か」があると仮定している点だけ。

 

第一印象なんて、ほぼ見た目で形成されます。

人は見た目が9割と、新書のタイトルはうたいますが、その中身は、ほとんどタイトルにそぐわないものでした。でも、売れました。見た目(タイトル)が良いから。タイトルに惹かれて、手にする。読んでみようと、購入する。それが刷り部数に影響し、百万部を突破。

しかし今現在では、この本も、著者もそう見かけません。

本の中身が、期待した物と異なることがわかったからです。amazon読書メーターには「本はタイトルが9割」という揶揄が並びます。

この目を引くタイトルに、期待される内容が、正しく書かれていたならば、時代を経ても、多くの日本人に読まれ続ける物となったのではないか、と私は思います。見た目が9割だという事実を、現実的な数値等を交えて、突きつけられた上で、何か一つの回答を明示してくれていたなら、ある一つの普遍性を持って、長い間、愛され続ける本になれたのでは、思うのです。ですが、実際は、演出・漫画の技法に触れた(そういう雑学本としてはそれなりに面白い)本でした。そしてこの本は、多くの「読者の期待を裏切った」という評価に晒されることとなり、ゆっくりと廃れていきました。

 

見た目が良ければ認識されやすい。芸能の場では重要な事です。

まず初めに目にとまらなければ、この世界では何も出来ないから。何より先に、相手の視覚に訴えかける。良い第一印象を形成し、以降の興味をそそる。そうやって興味を持って貰った段階で、ようやく、自分の中身や得意なことを披露できる。美しければ美しいほど、切っ先は細く鋭くなり、誰よりも先に、先陣を切ることが出来る。

でもそれで得られるのは、結局の所、沢山の視線と、無意味なレッテルだけです。切り込んだ先で刀が鈍れば、襲いかかってくる者達に翻弄されるばかり。

綺麗だから、素晴らしいだろう。美しいから、愚かだろう。見た側による、勝手な想像・期待が、彼らの上に塗布されます。その期待に応えられなければ、激しい罵倒や無関心が待っています。あるいは応えたとしても、際限なく期待される。素晴らしいだろうと期待した人は、ほとんどの場合、理想化とこきおろしを表裏に持ち、期待に応えられれば、更に理想に近づくよう求め、期待を裏切られれば、途端に掌を返し、罵倒します。愚かだろうと嘲った人は、その人の輝く姿を見ても、自分の認識の間違いを受け入れることが出来ず、口を閉ざして逃げ去ります。美しい人達は、そんな場所で、無残に傷ついていく。

美しくて若い人達の中で、それらを失っても尚長く生きのびる人は、期待や嘲りに応えた人ではなく、自分自身を確かに現した人だと、私は感じます。貼り付けられたレッテル、期待や嘲りをはねのけ、自分のやりたいこと、すべきことを行えた人。

それを行なうには、どれだけの努力や心の強さを必要とするのでしょう。私は、ただ輝いている人達を、仰ぐことしか出来ません。輝くまでに、何をどう削り出されてきたのか、想像することも出来ません。勝手に期待されて落胆されて、それをお前の所為だとなじられて、それでも前を向いて、歩き続ける強さ。強要される理想像に、心を翻弄されずに、自分の姿を見つめ続ける眼差し。それらがどう産まれてきたかなんて、大概は披露されません。美しくないから。美しい人達は、美しいが故に襲い来る禍福を飲み込んで、それでも美しく在り続ける。

かざせば折れる美しさや若さという武器を手に歩き出した少年達は、様々な期待や嘲り、あるいは誹謗や無関心に晒される。その中で武器を失い、息絶える子もいれば、次第に身一つで生きていく力をつけていく子もいる。

私に出来るのは、その生き様ごと、創り上げた作品を、大切に愛していくことだけのような気がします。

自分が美しいと感じた物を、愛せるように愛したい。生きてる限り。