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来て、見て、書いた。

自ら足を運び目にしたものを書く方向性。

卵巣嚢腫茎捻転になって

日記 病気

大分古い話ですが、mixi(完全に鍵垢)の日記を漁っていたら出てきたので、残しておきます。

私が卵巣嚢腫茎捻転で、緊急手術を受けたのは、丁度二年前、2013年の4月18日でした。

その日の朝はとても元気でした。 普通にご飯もお菓子も食べていましたし、よく眠れて健康そのものといった様子でした。
仕事へ行こうと、比較的細めのズボンを履いて、家を出たあたりから、変調。 腹部の痛みと吐き気に襲われ、歩くのもままならず。どうにか最寄り駅近くまで行きましたが、出社は困難と判断し、自分で職場と家に連絡しました。

その後、懇意にしているお医者さんの所まで、一人で這いずるように歩いて行きました。あと500メートルくらいの所で、心配して来てくれた母親と合流。付き添ってもらいながら、ゆっくりと歩いて行きました。

お医者さんの所では、ベッドに横になって、少しも動けなくなってしまいました。原因を探る為に、レントゲンを撮ろうと提案されるものの、私が立ち上がることができず。エコー検査に切り替え。しかしこれが功を奏し、レントゲンでは見つからなかっただろう、下腹部に膨らんだ影……12cmくらいの嚢腫が発見されました。
お医者さんは、この病院でも、何の病気かおおよその検査することはできるけど、そのあとの処置(手術)ができないからと、大学病院へ電話連絡をしてくださった上で、紹介状を書いてくださり、そちらへ行くこととなりました。

この頃はまだ意識がハッキリとしていたのと、緊急性が低いこと、連絡がついていることもあり、タクシーで大学病院へと行きました。

大学病院では、手術&入院は確実だけど、無闇にお腹を開けないで済むよう、術後に響かないで済むよう、先に精密検査をと提案されました。
病院内を行ったり来たりして、検査を受けました。初めの頃の、血液検査・レントゲンまでは辛うじて車椅子で移動できました。しかし、レントゲンでしばらく立ちっぱなしだった為、立ちくらみが酷くなり、車椅子でも辛くなってしまいました。
そして、MRI検査をしている時に、仰向けで腹部を圧迫され、嚢腫が動いて茎捻転が酷くなったのか、思わず叫んでしまうほどの激痛が走りました。尿管結石の痛みや、ものすごく辛い月経のような痛みでした。
そこからはストレッチャーに乗って移動。横になっていたら、少し痛みなどが収まってきたので、全身麻酔時の酸素吸入用?の肺の測定等も、一応受けました。

その後、入院する予定の部屋に移動してから、手術内容を説明してもらいました。
病名は…卵巣嚢腫茎捻転。
左の卵巣に、量にして700cc、サイズにして12cmの水腫が出来ていたそうです(詳しい量などは術後に判明)
その上、卵管がねじくれ、嚢腫が子宮に乗っているとのことでした。
発見が早かったから、きっと大丈夫だと思うけど、万が一、卵巣が壊死してしまっていたら、切除しなければならない。子宮の方にも影響が出ていたら、そちらも…。だからもしかすると、結婚妊娠を望んでいる人にとっては、とても辛いことになるかもしれない。
そんなことを言われてしまいました。
その当時の私自身には結婚願望はほとんどなく、そこまで辛い気持ちにはなりませんでした。ただ、元々の体質的にホルモンバランスが崩れることで、精神面に大きな影響が出るのが、少し怖かったです。
今は…結婚願望と言える物はやはり無い(子どもは育てたいですが、彼氏はいないし、村井さんを追いかけているのが一番楽しいので…)ですが、それでも可能性が残っているということに、ホッとします。
とにかく、当時の私は、この痛いのがおさまれば、それでよかったので、もぎ取れるなら取ってくれぇ!みたいな状態でした。
一応、へそから内視鏡を入れる方向で進めて、万が一それで切除しきれない場合は、下腹部にメスを入れる感じになる、とのことでした。

そして、手術。
ストレッチャーに乗せられて、オペ室へと運搬。部屋の前から入った辺りで嘔吐感に襲われて、少し暴れましたが、点滴に全身麻酔が投入された途端に熟睡しました。
全身麻酔は、中々面白い体験でした。点滴が開始された途端、針が入ってる所(私は腕の血管が細く、針を刺しづらい為、手の甲に入ってました)に、じわ、と麻痺した感覚が広がりました。その後、血液に乗せて、薬剤が上へとのぼってくるにつれて、意識が遠くなります。肘の内側が麻痺したな、と感じた次の瞬間に、意識が消えました。

手術中は、目覚めませんでした。

手術後は、自分の鼻歌で起きました。しかも、手術日の少し前まで、村井さんが出演していた、『私のダーリン』の第二幕冒頭のレビュー曲です。
「この世は男と女♪ そこには恋のドラマが♪ 十人十色の♪ 恋の駆け引き♪」
すっきりと目覚められたので、よく言われる倦怠感などは無かったのですが、今思うと、この歌を誰かに聴かれていたら滅茶苦茶恥ずかしいですね。しかも婦人病の病棟だよ。

手術後は、入院する病室に戻る予定でしたが、どうやら内視鏡をへそから入れた際に、胃の壁面に当たってしまい、内出血してしまったそうで。
CTスキャンをとった上で、HCUという、ICUよりは重篤でない、でももしもの時には即座に対応しなくてはいけない患者を収容する所に入れられました。
私自身は、まだ麻酔が抜けきっていないこともあり、へそと下腹部の縫合部分が多少痛む程度でしたが、そのHCUという場所がとにかくうるさく、とてもじゃないですが、寝ていられるような状態ではありませんでした。
稼働し続ける機械の、低いうなり声や電子音、眠れずにいる人の気配。何より、認知症が入り始めたおばあちゃんの、あられもない叫びが辛かった。おしっこは、カテーテルが入ってるから大丈夫だよ、と言われても、「おしっこ漏れちゃうよー」「お茶碗でもいいからちょうだいよー」と延々叫んだり、 かと思えば、「お父さんあけてよぉ」「怖いよー」「お母さん助けてー」と怯えて見せたり。リクライニングベッドを「あげてー」「倒してーお尻が痛いー」と細かく調整してもらったり。 あと茄子が食べたいと叫んでいたり。
ずっと同じ調子で叫んでいるだけでなく、時々ふっと止む時があって。 そうすると、私も疲れているため、ついうとうとと眠ってしまい……しかし、また叫び声が再発した時に起こされる。
それを何度も繰り返していたので、朝になって、もう大丈夫だと病室に移してもらった時は、心底ホッとしました。

病室に入ったばかりの19日は、ずっと眠っていたので、記憶があやふやです。
ただ、ご飯解禁!となった19日の昼食が、よりによって焼きそばだったので、ほとんど食べられなかったのが強く印象に残っています。

ちなみに。
ご飯の献立。

f:id:torata_nu:20150417210725j:plainこの写真は20日昼のもの。
19日(昼) :焼きそば・メロン・和え物
19日(夜) :ご飯(150g)・ヒレカツ2個・きんぴらごぼう・酢の物
20日(朝) :ご飯・煮物(がんもどき3個、カブ2個、人参2個)・むらさき和え?・お味噌汁・ジョア(イチゴ味)
20日(昼) :ご飯・親子煮(親子丼の上に乗っかってるの)・和え物・かぼちゃの煮物
20日(夜) :ご飯・アオヒラスの塩焼き・パイナップル・ナスの味噌炒め・春雨の酢の物

まずくはないんですけど、病院食らしく、塩気が足らないので、家族に持って来てもらった塩昆布(くらこんの塩こんぶちょう)をかけて食べていました。単純に、塩化ナトリウムとアミノ酸を加えるだけで、食べ物って美味しくなりますね…。

19日は、まだ切った下腹部や、内視鏡を入れたヘソが痛く、ほとんど寝ていました。途中、採血や検温・血圧測定が何度か来たような記憶が、うっすらとあります。点滴は、基本生理食塩水的なものを入れつつ、合間に痛み止めや吐気どめ、抗生物質をいれていました。
その点滴も、19日夕方には外されました。おかげで、夜にはのんびり寝ることが出来ました。やはり、点滴の針が刺さっていると、自由に動けないし、気になるし、いつか折ってしまいそうで、辛かったです。

翌日の20日は、大分体調が良くなりました。 トイレにもホイホイ立てるし、顔も洗えるし、寝返りも打てる。 両親だけでなく、中学からの友だちにもお見舞いに来てもらって、とても楽しかったです。

しばらくの入院生活を経て、23日には退院。予後もよく、雨の日に縫合痕が痛む以外は、現在はとても元気になりました。
ただ半年に一回、定期検査を受けています。手術したのとは逆側の卵巣が、若干膨らんでいるらしく、しばらく気をつけていないといけません。

でも実は、ここまで大きくなる前に、気づくタイミングはありました。
今思えば、武士ロックフェスティバルの、大阪遠征の時、夜行バス内で感じた吐き気と腹痛も、今回と似たような感じでした。(その後のペダル舞台(直線鬼篇)後の嘔吐も)
腹筋や背筋の筋トレをすると、すぐに腹部が圧迫されたような痛みが走りました。それどころか、重い生理痛のような、腰に響く痛みを感じることもありました。

病気とかは、いつ、どんな時になるか本当に分からない物ですが…予兆はちゃんと拾い上げて、酷くなりすぎないうちに対処した方が良いなと、身をもって感じました。